658 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2013/05/14(火) 23:15:04.57
小学校の卒業アルバムに載せる作文を、俺だけがまだ提出していなかった。
担任のババアが催促をするので、「書く事がありません。」と言ったら
「何でもいいから書きなさい。」と返された。何でもいいと言われたので俺は、
『例えこの学校が廃校になったとしても、ここで過ごした思い出は忘れません。 多分。』
的なブラックジョークをふんだんに盛り込んだ作文を提出した。怒られた。 親呼び出しで怒られた。
担任がファビョリながら母親に言い放つ。
「こんな作文書くなんて……! ○○君の人間性を疑いますっ!!
将来が心配ですよ、まったく……!」
母親は至って冷静な態度で言葉を返す。
「子供の冗談を真に受ける貴女の方がよっぽど心配です。」俺のカーチャン、男前だな!と思いました。
大の大人が大の大人にしてやれることは、金を貸してやるか、人を紹介してやるか、一緒に飲んでやるかの3つしかない
ある老人が、隣の空き地で、放課後に子供たちが毎日野球をするので、騒がしくて困っていました。
そこで老人は実に巧妙な計画を思いつきました。ある日、子供たちにこう言いました。
「君たちの野球を見るのがとても楽しくていつも家からみているんだよ、これからここで毎日野球をやってくれたら、100円あげよう」
遊びにきたのにお金がもらえるということで、子供たちはびっくりしましたが、その後一週間、老人は毎日100円をあげました。翌週老人は、
「すまんがお金に余裕がなくなってきてね。これからは毎日50円にするけど、それでいいかね」
といいました。子供たちの一部はしぶしぶでしたが、また翌週も毎日、野球をしにきて50円をもらって帰りました。翌週、老人は
「すまんが、今日からは10円にさせてもらうよ。お金がなくなってきたんだ」
といいました。もともとそこで遊ぶのが目的だった子供たちは、まあしょうがないかと思いその後も野球をしにきました。数日後、老人は
「悪いが、今日からもうお金はないよ、ついにあげるお金がなくなってしまったんだ」
と告げました。すると、子供たちは、怒って文句を言い出しました。
「冗談じゃないよ、ぼくたちがタダで遊んでやるとおもっているの?もうきてやらないよ」。
それ以降、子供たちは二度と隣で野球をしなくなりました。
老人は1000円ちょっとで、騒々しい子供たちを追い出すことができたわけです。
「どうして時間の『まえ』は『うしろ』なの?」
詳しく聞いてみるとこういうことだ。空間的に進む時、「前」とはこれから到達する地点であり、「後」とは既に過ぎた地点である。しかし時間的な話をする時、「前」とは基準時から見て 既に過ぎた時点を指し、「後」とはこれからやってくる時点を指す。 英語も同様だ。それはなぜか、という。
これは面白い。川合さんの息子さんは典型的なアメリカ育ちの発想ですね。
欧米的な自分を主環境を従として、自己中心から前後を決める決め方だと、たしかに過去が前で未来が後なのはオカシイとなる。しかし、東アジア的な考え方では、自己が環境に包摂され、自己が主にもなるし環境が主にもなることができる。そして、何が前で何が後ろというときに、ただちに認識できるものが前、ただちに認識できないものが後と決めれば、空間的な前後は自己が主で環境が従というように欧米的な基準と同様だけれど、時間的な前後は時間が主で自己が従となって欧米的な基準と逆になるのだと思いますよ。
(via kashino)
「指示がだされても、やり過ごしているうちに、立ち消えになることがある」と答えた人が、じつに六六・三%もいるではないか。どの会社でも、五〇%を超える人が「やり過ごし」の存在を認めていた。